ルイ・ダゲール
ダゲールはダゲレオタイプを発明し、1839年8月19日の公開により写真を事実上「全人類の所有物」とした。各プリントが複製不可能な一点物であるこの形式は、肖像写真の民主化を一方で進めながら、複製性というタルボットが切り開く方向とは根本的に異なる道を歩んだ。
フランスに関わる写真家を、写真の発明から現代美術まで、各作家がどの時代・運動と結びつくのかとともにたどるページです。
ダゲールはダゲレオタイプを発明し、1839年8月19日の公開により写真を事実上「全人類の所有物」とした。各プリントが複製不可能な一点物であるこの形式は、肖像写真の民主化を一方で進めながら、複製性というタルボットが切り開く方向とは根本的に異なる道を歩んだ。
ジャーナリスト・風刺漫画家として当代の文化人と深く交流していたナダールは、1853年頃から肖像写真家に転身し、グレーの無地背景と自然光のみで被写体の内面を引き出す革新的な方式を確立した。1858年の気球からの航空写真、1861年のパリ地下道での電灯撮影、1874年の印象派第1回展会場の無償提供と、…
パリで絵画を学んだル・グレーは1840年代後半から写真に転じ、ナダールらを育てた写真教育者でもあった。コンビネーション・プリント(複数ネガの合成)による海景写真の技術的革新と、湿板コロジオン法の改良(ワックス紙ネガ法)によって、1850年代の写真表現を技術的に主導した。
ヘリオグラフィーを発明し、現存最古の写真「ル・グラの窓からの眺め」(1826〜27年頃)を残したニエプスは、光化学的な像の固定を初めて実現した人物である。1839年の公式発表でその功績はほぼ無視されたが、20世紀の写真史研究によって再評価され、写真の発明者として位置づけ直されている。
アントワーヌ・クローデは、フランスからロンドンへ移り、1840年代からダゲレオタイプ肖像館を運営した写真家・発明家。アデレード・ギャラリーやリージェント・ストリートの「Temple of Photography」で露光短縮、焦点測定、背景、手彩色を改良し、1850年代にはステレオ・ダゲレオタイプや立体視と屈折の研究へ進んだ。商業肖像と王立協会での光学研究を並行した彼の写真館は、撮影所、実験室、見世物、店舗という複数の機能を一つの空間に集めていた。
ビソン兄弟は、ルイ=オーギュストと弟オーギュスト=ロザリーが1852–63年に共同で運営したパリの写真工房。大型ガラス・ネガとアルブメン・プリントでフランス各地・欧州の建築を高精細に撮影・出版し、1861年にはカメラ、薬品、携帯暗室を25人のポーターらと山上へ運びモンブラン撮影を実現した。建築では細部を比較できる出版図版を、山岳では都市の観客が実際には行けない高所の様子を伝える写真を作った。
アンリ・ル・セックは、画家・版画家として学んだのちギュスターヴ・ル・グレーから紙ネガ技法を学び、1851年のミッション・エリオグラフィックでランス、ストラスブールなどの歴史建築を撮影した写真家。国家委嘱では修復判断に使える全景と細部が求められたが、ル・セックは斜光、近接、斜めの視点を選び、石の損傷や彫刻の凹凸まで強く写し出した。文化財記録に撮影位置と光の判断がどこまで影響するかを考えるうえで重要な作家である。
イポリット・バヤールは、パリの大蔵省官吏として働きながら1839年に紙上直接陽画法を開発し、静物、石膏像、庭、自画像、パリの街路、歴史建築を撮った初期写真家。代表作《溺死者に扮した自画像》では、自身を死体として演じた像に手書きの文章を添え、発明者としての承認をめぐる状況を作品化した。その後は塩化銀紙、紙ネガ、ガラスネガも用い、1848年革命後のパリやミッション・エリオグラフィックの建築記録へ制作を広げた。
ルイ・デジレ・ブランカール=エヴラールは、リールを拠点に紙ネガ・ポジ法を改良し、1847年にフランス科学アカデミーへ工程を発表した写真技術者・出版者。1850年にはアルブミン紙の印画法を公表し、1851年にImprimerie photographiqueを開設した。自身の撮影に加え、シャルル・マルヴィル、マクシム・デュ・カンらのネガを多数印画し、建築、美術複製、旅行写真をアルバムや分冊として流通させた。写真を撮影後の印画、編集、出版まで含む生産工程として組織した人物である。
マクシム・デュ・カンは、ギュスターヴ・フローベールと1849–51年にエジプト、ヌビア、パレスチナを旅し、200点を超える紙ネガで遺跡を撮影した作家。正面性、真昼の光、人物による尺度表示を使い、遺跡の形と大きさを比較しやすい写真にした。1852年の写真集『Égypte, Nubie, Palestine et Syrie』では125点を同じ出版形式で提示したが、その画面は現地の生活より古代遺跡を優先し、19世紀フランスの考古学とオリエンタリズムの視線も伝えている。
1850年代半ばから1860年代の第二帝政期フランスで、カルト・ド・ヴィジット肖像を巨大な市場へ育てた写真家。四眼カメラと可動式ホルダーで一枚の湿板原板に複数ポーズを記録し、鶏卵紙をカード寸法に裁断して販売した。ナポレオン3世、ヴェルディ、市民の全身像、未裁断シート、家庭アルバムを手掛かりに、肖像写真が一回限りの注文品から、複数枚を交換・収集する大衆メディアへ変わった過程をたどる。
1840年代末から1850年代のフランスで、絵画、紙ネガ写真、写真製版を往復した写真家・版画家。パリの《The Chimney Sweeps》、南フランスとシャルトルの建築、ヴァンセンヌ帝国療養所を撮り、さらに写真像をインクで刷るヘリオグラヴュールを改良した。動く市民を短い露光で捉えることと、建築の細部を退色しにくい印刷版へ残すことを同じ制作の問題として扱った点から、初期写真の「瞬間」と「複製」を読み直す。
単一乾板に複数露光を重ねるクロノフォトグラフィーで、運動を時間の解析図として可視化した生理学者。マイブリッジが系列として時間を分解したのに対し、マレーは時間を一枚の画像に凝縮し、身体・労働・飛翔を科学的計測の対象へ変えた。
ハウスマンによるパリ改造を前後して、旧市街の消滅と新パリの出現を市の委嘱のもとで記録した写真家。行政的記録として依頼された仕事が、都市の自己表象を構成する視覚アーカイブとして再評価されている。
ロベール・ドマシーは、ゴム重クロム酸塩プロセスをピクトリアリズム写真の核心的な手法として擁護したパリの写真家。裕福なアマチュアとして制作を行いながら、スティーグリッツや『カメラ・ワーク』との交流を通じて国際的な芸術写真運動に参与し、手の介入による写真のイメージ変容が芸術性の根拠であることを論じた。
アジェがカメラを手にしたのは1897年頃、40歳のときだった。俳優と画家への夢を断ち、「芸術家のためのドキュメント」(Documents pour artistes)と名刺に刷り、画家や工芸職人にパリの参照写真を売ることを生業にした。
ジャック=アンリ・ラルティーグが写真を始めたのは1901年、7歳のときだった。裕福な実業家の父から与えられたカメラで、ブーローニュの屋敷での家族の遊び・初期飛行機の実験・自動車レース・スキーを撮り続けた。
ポール・ジェニオーはブルターニュ出身のフランス人写真家で、1900年前後のパリの街頭職人・小商人・行商人を記録した。兄シャルルと「ジェニオー兄弟」として活動し、ブルターニュの伝統的な生活と都市パリの日常を撮り続けた。
このサイトでは「ルイ・ヴェール(louis-vaire)」として登録されているが、資料上は Louis Vert(ルイ・ヴェール、1865–1924)として確認される。パリの街頭職業人を1900年から1906年にかけて記録し、ミュゼ・カルナヴァレに作品が所蔵される。
1868年、パリ生まれのアドルフ・ド・メイヤーは、家族や親しい友人のスナップから写真に入り、Linked Ring、Photo-Secessionを経て、ニジンスキーの《L’Après-midi d’un faune》、社交界肖像、静物、『Vogue』『Vanity Fair』『Harper’s Bazaar』のファッション写真へ進んだ。日本旅行で深めた平面構成と逆光、反射する布や宝飾の階調を誌面にも用い、美術写真と近代ファッション写真が接続する過程を考えるうえで重要な写真家である。
ダダとシュルレアリスムの中心で活動したアメリカ生まれの作家。暗室での偶然と光の操作によるRayograph、ソラリゼーション、ファッション写真などを通じ、写真を記録装置から物と光が変容する前衛的な実験の場へと転換した。
1893年、ニューヨークに生まれ、ヨーロッパ各地で育ったフローレンス・アンリは、音楽と絵画を学んだ後、1927年にデッサウのバウハウスへ滞在して写真へ進んだ。鏡、球体、果物、木枠、身体を配置する静物とセルフポートレートで、実物と反射、複数の視点を一枚の写真に重ねた。
絵画で培った構成感覚を、ライカの機動性と街頭の偶然に結びつけ、日常や政治的出来事の一瞬を「写真で読む」形式へ変えた写真家。『Images à la Sauvette』、英語版『The Decisive Moment』、マグナム・フォトを通じて、構図、時間、報道、写真集編集を結びつける見方を広げた。
ハンガリー出身の写真家として1930年代のパリに定住し、夜の都市、娼館、カフェ、グラフィティを記録した。写真集『Paris de Nuit』は、夜の都市を詩的・社会的な構造として組み立てた最初期の写真集のひとつとして位置づけられる。
ロベール・ドアノーは、パリ郊外・労働・広告・演出を横断しながら、戦後フランスのヒューマニスト写真の制度を作り上げた写真家。偶然と演出のあいだにある独自の観察眼は、「パリの恋人写真家」という単一の受容像を超えた実践の複層性を持つ。
スロバキア出身の移民写真家として、1930年代フランスの全産業を横断して記録した委嘱写真集『La France travaille』(全15巻)を残した。産業・労働・広告・ファッションが同一の視覚言語で接続される仕事は、委嘱写真という制度が国民的イメージをいかに形成するかを示す事例として読まれてい…
ニース生まれのフランスの写真家。パリの夜の都市を長時間露光と精密な光の計算で記録し、フランス「新しい視覚」の潮流と1930年代の雑誌文化の交点に位置する。
1894年、フランス西部ナントにルーシー・シュウォブとして生まれたクロード・カアンは、1910年代から執筆、演劇、写真を行い、マルセル・ムーアと長く共同制作した。剃髪、衣装、仮面、鏡、二重像を使うセルフポートレートと、1930年の書物『Aveux non Avenus』で、一枚の肖像が人物の性別、人格、作者を確定できるという期待そのものを不安定にした。
1910年、シュトゥットガルトに生まれたゲルダ・タローは、ナチ政権成立後にドイツを離れ、パリでロバート・キャパと協働したのち、スペイン内戦の共和国側を撮った。
1899年、ドイツ、フランクフルト・アム・マイン生まれのイルゼ・ビングは、美術史の博士論文に必要な建築写真をきっかけに写真を始め、ライカを手にパリの街路、建築、舞踊、ファッション、自画像を撮った。都市を歩く機動的な視点と、撮影者自身を画面に戻す自己検証が、同じ小型カメラから生まれている。
1911年リトアニア生まれ、1980年没。本名イスラエリス・ビデルマナス。
1910年、パリに生まれたウィリー・ロニスは、街路、ベルヴィル=メニルモンタン、工場、ストライキ、家族を撮り、戦後フランスの人間主義写真を代表する写真家となった。1936年人民戦線期からの政治的関与と左派誌での報道を背景に、日常の身振りと都市の構図を結んだ。
1923年、フランス・パリ生まれ。École Estienneでグラフィックと印刷に関わる教育を受け、第二次世界大戦後に写真を始めた。初期にはLellaを継続して撮影し、1951年のLa Huneでの展示を契機に雑誌『Réalités』の仕事へ進んだ。以後、同誌の取材でヨーロッパ、アジア、中東、南北アメリカを旅しながら、パリの街路、子ども、家族、旅先の人々を長く撮影した。
1924年、スイスのSaint-Gingolph生まれ。ジュネーヴのStudio Boissonnasで写真技術を学び、1945年に資格を得てスタジオを開いた。翌年パリへ移り、Willy Maywaldの助手を経て、1950年代からRaphoとVogueで活動した。街路、子ども、労働、夜景、芸術家を撮る自主制作と、ファッション、広告、雑誌報道の依頼を並行し、戦後フランスを拠点に長く写真家として活動した。
クリステル・ストレムホルム(1918–2002)はスウェーデン、ストックホルム生まれ。絵画とグラフィック・アートを学び、戦後のパリで写真へ進み、1949年頃からドイツのFotoformと主観写真の動向に関わった。パリのPlace Blancheで知り合ったトランス女性たちを長期に撮影し、1962年から1974年までストックホルムのFotoskolanを率いた。1967年に写真集『Poste Restante』、1983年に『Vännerna från Place Blanche』を刊行し、1997年にHasselblad Awardを受賞した。
エリオット・アーウィット(1928–2023)はフランス、パリ生まれ。ロシア系ユダヤ人の両親とヨーロッパからアメリカへ移住し、ロサンゼルスで写真を学んだ後、ニューヨークのNew Schoolで映画を学んだ。ロイ・ストライカーの調査写真、米軍での写真任務を経て、1953年にMagnum Photosへ参加した。報道、雑誌、広告、映画制作と並行し、犬、恋人、家族、観光客、政治家、街路の偶然を長く撮影した。1959年のニクソンとフルシチョフの《Kitchen Debate》など歴史的な報道写真でも知られる。
ヴィヴィアン・マイヤー(1926–2009)はアメリカ、ニューヨーク生まれ。幼少期から青年期にアメリカとフランスを往復し、1950年代初頭にニューヨークで撮影を始め、1956年以降は主にシカゴで乳母・ケア労働者として働きながら写真を続けた。Rolleiflexによる白黒の正方形写真に加え、35mmカラー、Super 8映画、録音も残した。生前に公的な写真家キャリアを築かず、作品の大半は未発表のまま分散したため、2007年以降の発見、収集、プリント、展覧会、研究を通じて作家像が形成された。
ギイ・ブルダン(1928–1991)は、パリ生まれ。Man Rayとの交流を経て1955年からフランス版『Vogue』で活動し、シャルル・ジョルダンの広告などで強い色彩と演出写真を展開した。
マルク・リブー(1923–2016)は、リヨン近郊生まれ。1953年にMagnumへ参加し、中国、ベトナム、インド、アフリカを長期取材した。《エッフェル塔の塗装工》《花の少女》で知られる。
ヘルムート・ニュートン(1920–2004)、ドイツ・ベルリン生まれ。1936年からファッション写真家Yvaのスタジオで修業し、ナチ政権下の迫害を逃れて1938年にドイツを離れ、シンガポールを経てオーストラリアへ移住した。戦後はメルボルンでスタジオを構え、1961年にパリへ移った後、French Vogueをはじめとする国際誌を中心に活動した。
ジョセフ・クーデルカ(1938–)は、チェコスロヴァキア(現チェコ)のボスコヴィツェ生まれの写真家である。工学を学びながら写真を始め、1960年代前半にはプラハの劇場を撮影したのち、ロマ共同体への長期取材と1968年のプラハ侵攻の匿名発表へ進んだ。1970年に西欧へ移り、Magnum Photosへの参加を経て、『Exiles』とパノラマ作品へ展開した。
レイモン・ドパルドン(1942–)は、フランスのヴィルフランシュ=シュル=ソーヌ近郊の農家に生まれた写真家・映画監督である。地元の写真店で修業し、1958年にパリの写真家ルイ・フシュランのもとで学んだ。翌1959年にDalmas通信社で報道写真の仕事を始め、1966年にGammaを共同設立した。その後はMagnum Photosに加わり、戦争・政治報道と映画制作を並行する。後年は精神医療、司法、警察、農村、地方都市へ主題を広げ、写真・映画・文章を横断している。
ベルナール・プロス(1945–)は、ベトナム南部ダラット生まれ、フランスを拠点とする写真家である。1965年のメキシコ旅行以後、旅・列車・街路・窓・家族・砂漠を50mmレンズで撮影した。『Le Voyage Mexicain』をはじめ、撮影から年月を隔てた写真集編集も制作の核となる。映画で培った時間感覚とFressonのマットな色調を重ね、写真・映画・写真集を横断しながら移動中の知覚を組み立てた。
1955年ランス(フランス)生まれ。写真・オブジェ・彫刻・インスタレーションを横断する現代美術家。
クリスチャン・ボルタンスキー(1944–2021)は、フランス・パリ生まれの美術家である。1960年代末に写真や所持品へ虚構を織り交ぜた自伝的作品を始め、1980年代に《Monuments》《Les Archives》を展開した。写真や文書、音・衣服を展示空間で組み合わせ、資料を保存しても個人の生を取り戻し切れない矛盾を扱った。
1953年フランス生まれ。見知らぬ他者を尾行し、他人の日常を記録し、儀式的な行為を手続きへと変換するという行為主義的な方法論で知られる。
1969年生まれのフランス・イギリス系アーティスト。映像・写真・インスタレーション・アーティストブックを横断し、政治的・軍事的・経済的システムの中でいかに映像が生産・媒介・流通するかを問う。
1968年パリ生まれ。写真・映像・パフォーマンスを横断し、実際には起こらなかった歴史的場面を捏造してドキュメンタリー的権威を付与する実践で知られる。
1946年フランス生まれの写真家。ありふれた野鳥とその生息環境を主題に、数ヶ月単位の長期的な待機と観察を経て大判カラー写真を制作する。
1968年フランス生まれ。抗議運動・デモ・仮設的な占拠・周縁的な公的集会を大判カメラで撮影するドキュメンタリー写真家。
イト・バラダ(1971年生まれ、フランス・モロッコ)は、写真・映像・インスタレーション・アーカイブにわたる実践で、タンジェを拠点に国境・都市変容・移動の政治を探るアーティスト。地政学的問題を壮大なイメージではなく、街路・建物・日常的な物体の微細な変化を通じて可視化する。
ヴァレリー・ベラン(1964年フランス生まれ)は、ポートレート・スティルライフ・ボディ・商品など多様な被写体を通じて、超精細な描写と人工性の間の不安定な関係を探る写真家。記述の正確さをそれ自体として追求することで、被写体の存在論的地位を宙吊りにする。
クロード・クロスキー(1963年フランス生まれ)は、ウェブサイト・出版・写真・映像・コラージュを横断し、情報の反復・消費文化・日常的視覚言語の不条理を分析するアーティスト。写真を自律的イメージとしてではなく、メディアシステム内の記号単位として扱う。
ルック・ドラエー(1962年フランス生まれ)は、フォトジャーナリストとして出発し、後に戦争・政治・歴史的危機を主題とした大判ミュージアム写真の制作へと移行した写真家。フォトジャーナリズムから現代アート写真への移行をめぐる議論の中心的存在。
シャルル・フレジェ(1975年フランス生まれ)は、制服・儀礼・仮装・集合的アイデンティティをテーマとした連続肖像プロジェクトで知られる写真家。類型論的な反復によって、コスチュームと役割が身体をいかに組織するかを可視化する。
フィリップ・テリエ=エルマン(1970年フランス生まれ)は、写真・映画・映像・インスタレーションを横断するアーティスト。映画的なフィクションが写真的イメージをいかに構造化するかを問い、演出・俳優・映画の文法を通じて主体性が視覚文化によっていかに書き込まれるかを探る。
出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)
本文執筆 — AI
構成・編集 — 写真の座標 管理人
資料の収集と本文の執筆はAIが行い、構成と編集は管理人が行っています。事実関係は管理人がAIを用いて最終チェックしていますが、誤りが残っている可能性があります。正確さが必要な場合は、各ページ §SRC の一次資料をご確認ください。