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ERAS/1870–1890s·産業化・社会改革・写真の大衆化·UPDATED 2026.05
ERA · 02 · 産業化
1870
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1870–1890s

産業化・社会改革・写真の大衆化

乾板写真の発明によって写真が「現場で準備不要な記録」へ変わり、1888年コダックカメラが大衆に開いた時代。都市貧困・移民・労働問題を記録するドキュメンタリー写真が生まれ、マイブリッジとマレーは連続写真で映画の扉を開いた。

Photographers 17Period 1870–1890sMovements 4Vol ERA · 02
Overview · この時代について

1871年マドックスの乾板発明により撮影直前の薬品塗布が不要になり写真は携帯性を高めた。1888年コダックは「ボタンを押すだけ」を実現し写真撮影を専門家から大衆へ開放した。一方で都市の貧困・移民・スラムを記録する社会写真家も生まれた時代。

この時代が変えたこと

この時代の最大の転換は写真が「専門家の技術」から「大衆の道具」へ移行したことだ。同時にリースとアナンは写真を社会改革の証拠として使い、写真が報道・政治・制度変革と結びつく出発点を作った。

§ CTXこの時代の背景
政治・社会

普仏戦争(1870-71年)でドイツ帝国が誕生。パリ・コミューン(1871年)は72日で鎮圧。1884-85年ベルリン会議でアフリカ分割が制度化された。

産業化と写真

1888年コダックカメラ登場。写真が大衆メディアとなり、ハーフトーン印刷(1880年)で新聞掲載が可能になった。

技術の変遷

マドックスの乾板(1871年)で携帯性が向上。ロールフィルムの登場と「You press the button, we do the rest」の時代へ。

表現の方向性

都市の貧困・スラム・移民を記録する社会写真家が登場。科学目的の連続写真が映画の基盤を作った。

§ PHこの時代の写真家
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HD
HENRY DIXON · 1820–1893
Photographer

ヘンリー・ディクソン

Henry Dixon
イギリス · 1820–1893 · 1870–1890s

ヘンリー・ディクソンは1820年生まれ。1860年代からロンドンで写真業を営み、1870〜80年代にはSociety for Photographing Relics of Old London(SPROL)のため、解体が迫る建築を記録した。ブール兄弟との分業、湿板ネガ、保存性を重視したカーボン印画を通して、写真が都市の消失を事前に記録し、後世の建築史資料として残る仕組みを考える。

写真史の論点 · 建築写真
都市記録建築写真イギリス
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HR
HENRY PEACH ROBINSON · 1830–1901
Photographer

ヘンリー・ピーチ・ロビンソン

Henry Peach Robinson
イギリス · 1830–1901 · 1870–1890s

1830年にイングランドのラドローに生まれ、1850年代から1890年代にかけて活動したヘンリー・ピーチ・ロビンソンは、写真家、写真館経営者、理論家として英国の芸術写真を論じ続けた。代表作《Fading Away》では複数のネガを一枚へ焼き合わせる組合せ印画を用い、1869年の『Pictorial Effect in Photography』では構図、明暗、撮影後の合成を体系的に解説した。後にはLinked Ringの形成に関わり、写真における構成、加工、真実性、作者性をめぐる19世紀後半の論争を代表する人物となった。

制度を作る写真 · PICTORIALISM
ピクトリアリズム演出写真イギリス
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336GB
JT
JOHN THOMSON · 1837–1921
Photographer

ジョン・トムソン

John Thomson
イギリス · 1837–1921 · 1870–1890s

ジョン・トムソンは1837年エディンバラ生まれ。1860年代から東南アジアと中国で活動し、1870年代には『Illustrations of China and Its People』、帰国後の1877〜78年にはアドルフ・スミスと『Street Life in London』を刊行した。湿板写真を文章と連続出版に組み込み、遠隔地や都市の生活を具体的に伝える一方、人々を職業・民族・階層の「タイプ」として整理する近代の分類視線にも関わった。

読む報道写真 · DOCUMENTARY
社会ドキュメンタリー旅写真イギリス
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341US
WJ
WILLIAM HENRY JACKSON · 1843–1942
Photographer

ウィリアム・ヘンリー・ジャクソン

William Henry Jackson
アメリカ · 1843–1942 · 1870–1890s

ウィリアム・ヘンリー・ジャクソンは1843年ニューヨーク州キーズビル生まれ。1870〜78年にF・V・ヘイデンの連邦地質調査へ参加し、イエローストーンやロッキー山脈を大型湿板で撮影した。1890年代には鉄道や世界交通を撮り、後年はDetroit Publishing CompanyでPhotochromの大量流通にも関与した。調査の「証拠」から観光商品まで、同じ土地の写真が制度と市場によって別の意味を持つ過程を一生の仕事で示した。

写真史の論点 · 風景写真
風景写真旅写真アメリカ
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FS
FRANK MEADOW SUTCLIFFE · 1853–1941
Photographer

フランク・サトクリフ

Frank Meadow Sutcliffe
イギリス · 1853–1941 · 1870–1890s

1853年リーズのヘディングリー生まれ。画家の父からカメラを与えられ、1870年に家族でウィットビーへ移住した。翌年父を失い、18歳で母と7人の弟妹を支えるため写真を職業にし、肖像写真館を営みながら、港、漁師、子ども、船、街路を数十年撮影した。《The Water Rats》《Dinnertime》などをLinked Ring周辺の美術写真へ発展させた一方、漁港と観光地が重なる町の社会史も残した。その二つの働きが同じ画面にどう成立したかをたどる。

写真史の論点 · 自然主義写真
自然主義写真ピクトリアリズムイギリス
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EW
EDWARD L. WILSON · 1838–1903
Photographer

エドワード・L・ウィルソン

Edward L. Wilson
アメリカ · 1838–1903 · 1870–1890s

1838年ニュージャージー州フレミントン生まれ。1860年代初頭にフィラデルフィアのフレデリック・グーテクンストのスタジオで働き、1864年に専門誌『The Philadelphia Photographer』を創刊した。ステレオ写真やエジプト・パレスチナの旅行写真も制作しながら、実物印画を綴じ込む雑誌、年鑑、技術書、ランタン上映を連動させた。南北戦争後のアメリカで、写真を個々の撮影者の技能から、共有・批評・教育・販売を伴う専門文化へ育てた人物である。

写真史の論点 · 発明・技術
発明・技術旅写真アメリカ
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EF
ERNEST HOWARD FARMER · 1856–1944
Photographer

アーネスト・ハワード・ファーマー

Ernest Howard Farmer
イギリス · 1856–1944 · 1870–1890s

1856年ブライトン生まれ。父ロバートは同地の初期肖像写真家で、ファーマーは幼少期から写真と化学が身近にある家庭に育った。物理学を学び、1882年からRegent Street Polytechnicで写真を教え、のちに写真学校の初代責任者となる。Farmer’s Reducerとして定着した画像減力法、写真工程やカメラの特許、《A Wiltshire Thatcher》やストーンヘンジの野外写真を通じ、露光・材料・現像・補正を分解して教えられる知識へ整理した。写真が徒弟的な技能から高等・職業教育の専門領域へ移る過程を体現した写真家・教育者である。

写真史の論点 · 発明・技術
発明・技術イギリス
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HB
HENRY HAMILTON BENNETT · 1843–1908
Photographer

ヘンリー・ハミルトン・ベネット

Henry Hamilton Bennett
アメリカ · 1843–1908 · 1870–1890s

1843年カナダ東部ファーナム生まれ。少年期にウィスコンシンへ移り、南北戦争で腕を負傷して大工仕事へ戻れなくなった後、1865年にキルボーン・シティ(現在のウィスコンシン・デルズ)で写真館を買い取った。ウィスコンシン川の岩場をステレオ写真の連続シリーズとして売り、《Stand Rock》では自作シャッターで跳躍を止め、量産設備や鉄道宣伝まで組み合わせてデルズの観光像を作った。Ho-Chunkの人々も商品写真へ組み込まれたため、地方景観の発見に加え、観光資本と先住民表象の歴史から読む必要がある。

写真史の論点 · 風景写真
風景写真発明・技術アメリカ
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出典 — 美術館・アーカイブ・専門資料(このページの §SRC に個別記載)

本文執筆 — AI

構成・編集 — 写真の座標 管理人

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